船形万燈籠送り火 京都市登録無形民俗文化財
起源と歴史

左大文字送り火には、その起源に関する伝承はとくに伝わっていません(岩田1990)。
ここでは、歴史史料に見られる記述を紹介します。

江戸時代前期の公家・小槻忠利(1600~63)の日記『忠利宿禰記』の慶安2年(1649)7月16日条に、

山門へのほりて市々の火を見物、西山大文字、舟、東山大文字、各見事也

という記載があり、当時の段階で「西山」と「東山」に一つずつ「大文字」が存在していたことが分かります。ここでいう「山門」とは比叡山のことで、東山の大文字が今の大文字送り火、西山は、今でいう西山(西京区)ではなく、大北山の左大文字送り火のことと思われます。というのも、同時期に鹿苑寺(金閣寺)の住職を務めていた禅僧・鳳林承章(1593~1668)の日記『隔蓂記』には以下のような記載があり、鹿苑寺の山上で大文字が点されていた様子が分かるからです。

当山萬燈籠之案内申、予不登山上也(正保3年(1646)7月16日条)
今晩、如毎年当山萬燈籠也(慶安2年(1649)7月16日条)
如毎年山上大文字火調之(慶安3年(1650)7月16日条)

左大文字送り火を点す大文字山は、京都市北区大北山鏡石町にあります。旧大北山村は鹿苑寺の門前町を含んでおり、鹿苑寺との関係が深い地域ですので、上記の「当山」は大文字山のことを指しているのではないかと思われます。

ちなみに、万治3年(1660)頃の成立とされる絵地図「洛外図屏風」には、東山の大文字、妙法、船形、鳥居形の四つの送り火は描かれていますが、左大文字送り火のみ描かれていません。このことが何を意味するのかも含めて、さらなる検討が待たれています。

送り火の点火執行

8月15日と16日の2日間、金閣寺門前と在所の菩提寺である法音寺(北区衣笠街道町)に設けられた志納所において、護摩木(先祖供養や無病息災の祈願)の志納受付が行われます。午後7時ごろ、法音寺門前通りの24ヶ所の家々の前で門火の送り火を焚き、先祖の霊を菩提寺へと導きます。同寺では、送り火の親火点火台が境内に置かれ、護摩木を焚き、先祖の霊をなぐさめる法要が行われます。その火で親火松明1基と手松明(60本)がともされ、山上へと行列して運ばれ、山上の送り火が点火されます。

保存会 保存会地図

左大文字保存会
会員数:約65名
かつては旧大北山村の旧家の男系の男性だけで構成されていましたが、現在では女系の男性も参画できるようになっています。

火床の構造
火床の構造図
火床の構造

左大文字山は、岩石が多く、整地して火床を設置することが出来なかったため、以前は篝火を燃やしていました。現在は、山の斜面に栗石をコンクリートで固めた火床を使っています。火床の高さは、斜面の傾斜によって30cm~3mにもなります。

火床数:53基

左大文字の大きさ 大一画48m 左払い68m 右払い59m  火床の数 上6ヶ所 左8ヶ所 右8ヶ所 左はらい14ヶ所 右はらい18ヶ所
全体の大きさと各々の火床数
点火資材

松割木を使い、井桁に1mほど積み重ね、その上に護摩木を重ねて点火します。
松割木:300束 護摩木:5,000本

北山尼講の御詠歌

法音寺周辺に住む女性たちによる尼講は、毎月1度(17日)、法音寺の観音堂に集まって、御詠歌を奉納しています。

御詠歌とは、在家の仏教信者が歌い唱える仏教歌謡で、巡礼や法要などで歌われてきました。歌い手は、左手で鈴(れい)を振り、右手に撞木を持って伏鉦を打ち、リズムをとりながら歌います。かつては地域ごとに異なった節回しが伝承されていましたが、大正10年(1921)に香川県で山﨑千久松が特定の教団とは距離を置いた形で大和流を組織しました(新堀2008)。その後、多くの宗派が教団色の強い流派を結成したことにより、国内の多くの御詠歌の講はいずれかの流派の節回しを継承していることが多いのですが、北山尼講では昔ながらの節回しを伝えています。

御詠歌の起源には諸説ありますが、室町時代の禅僧・翺之慧鳳(1414~1469頃)の『竹居清事』や天隠竜沢(1422~1500)の『天陰語録』において、花山天皇(968~1008)が西国巡礼の祖であるとされ(吉井敏幸1985)、各霊場で詠んだ御製の和歌が「西国三十三所」の御詠歌となったと伝えられていることから、花山天皇が御詠歌の祖ともいわれています。

北山尼講が、いつから始まったかは詳らかではありませんが、花山天皇の紙屋川上陵(かみやがわのほとりのみささぎ)が、この大北山の地にあることから、古くから地域住民で継承されてきたものと考えられます。

《参考文献》
新堀歓乃「1920~30年代における大和流ご詠歌の成立過程」『東洋音楽研究』第73号、2008
吉井敏幸「西国巡礼の成立と巡礼寺院の組織化」(真野俊和編『講座日本の巡礼1本尊巡礼』雄山閣、1996、初出1985)

Q&A

よくある質問をQ&A形式でまとめました。

Q:なぜ左大文字というのですか。

A:よく分かっていません。大正・昭和期の郷土史家・田中緑紅は、御所の池に写った如意ヶ嶽の大文字を反映したから、如意ヶ嶽の大の字を写したから、大の字を裏返した左文字であるからという3つの俗説を紹介しながら、「京の町から北方を見る時東の如意岳は右に当り、此山は左に当たりますので左大と云ふようになったと見るのがよいのではありますまいか」という見解を述べています(田中 1957)。

Q:送り火当日は大文字山に登れますか。

A:通年入山は禁止となっております。

Q:ボランティアの受け入れはされていますか。

A:ボランティアの受け入れはしていません。

Q:護摩木志納の受付場所と時間を教えてください。

A:護摩木志納の受付については、トップページの「NEWS」に掲載いたしますので、ご確認ください。

Q:北山尼講の御詠歌は公開されているのですか。

A:点火当日(8月16日)であれば、観客席などはありませんが、午後9時半ごろに法音寺まで来ていただければ聞いていただくことができます。

 

to TOP
文化庁ロゴ

本事業は,令和2年度文化芸術振興費補助金(地域文化財総合活用推進事業(地域無形文化遺産継承のための新しい生活様式支援事業))の助成を受けて令和3年度に実施する「コロナ禍における無形民俗文化財のための継承・保存・活性化事業」の一部です。

※当ホームページに掲載するすべての写真につきまして、転載・複製を禁止します。

Copyright © 京都五山送り火連合会 All Right Reserved.