船形万燈籠送り火 京都市登録無形民俗文化財
起源と歴史
船形火床空撮 点火の様子

船形万燈籠送り火の起源には諸説あり、確かなところは現在もわかっていません。
ここでは、船形万燈籠送り火を継承し執行している西方寺に伝わるものをはじめとするいくつかの伝承と、歴史史料に見られる記述を紹介します。

① 西方寺開祖の慈覚大師円仁(794~864)が承和14(847)年、唐留学の帰路暴風雨に遭い、南無阿弥陀仏と名号を布切れ(船板片という説もある)に書き、海中に投じて「四海泰平、南無阿弥陀仏」と祈念されると、たちまち雨風が静まって無事帰国することができました。このことから、円仁は、西方寺のご本尊に船形光背を持つ阿弥陀如来を迎え、さらにその光背になぞらえた船をかたどって送り火をはじめたと伝えられています(岩田 1990など)。

② 延喜10年(910)に死者が数万人を超える疫病が蔓延した初盆の供養に行われ、東山の「大」に対して、「船」を「乗」とみなして「大乗仏教」を表しているという伝承もあるようです(田中 1957)。

③ 各地の盆行事の風習でも知られる精霊流しの船を模しているといわれています(精霊流しとは、藁や木で作った船に水塔婆や供物、行灯をのせて海や川に流す行事です)。加えて、仏菩薩が衆生を涅槃の彼岸へ導くことを、船に人を乗せて海を渡ることにたとえた「弘誓の船」の意味も込められているともいわれています(田中1957、岩田1990)。

ただし、船の形になった理由としての円仁の故事は、江戸時代以前の記録には見られません。

歴史史料では、小槻忠利(1600~63)の日記『忠利宿禰記』の慶安2年(1649)7月16日条に、

山門へのほりて市々の火を見物、西山大文字、舟、東山大文字、各見事也

という記載があり、これが同時代史料における船形の初見とされています。加えて江戸時代の地誌である『洛陽名所集』(1658)や観光案内書『案内者』(1662)では「大文字」「妙法」と併せて「船」や「帆かけぶね」と記載されています。そのため、船形万燈籠送り火は遅くとも江戸時代前期には成立していたと考えられます。

送り火の点火執行

8月16日朝早くから、保存会に所属する若中18人と中老36人が、割木を山に運んで、点火の準備を行います。船形万燈籠送り火では、鉦を打つ合図により、火が灯されます。この鉦による点火の合図は『山州名跡志』に登場しており、古くから鉦打山と呼ばれる山で鉦が打たれていました。しかし、この鉦打山がどの山を指すのかはよく分かっていません。現在は西方寺の北西200~300mの火床が見渡せるところで鉦が打たれています。

なお、送り火終了後、西方寺六斎念仏保存会による六斎念仏が行われます。

保存会 保存会地図

船形万燈籠保存会
会員数:55戸
旧西賀茂村のうち、西方寺の檀家地域である3ヶ町(鎮守庵町・今原町・総門町)55軒の旧家より18人の若中(17~30歳ぐらいの男子)、36人の中老及び年寄の約50人が送り火行事に携わっています(村上2013)。若中の人数は18名と決まっており、新たに会員が加わると、最年長のものから若中を離れ、中老となります。

火床の構造
火床の構造図
火床の構造
火床の写真

かつての火床は、自然の山肌に杭を打ち、市内に向かって杭に大きな松明を立てかけるやり方で点火をしていました。昭和56年度から2ヵ年にわたって火床改修工事を行い、コンクリートブロックを石組みに替え、平らにしたところに大谷石を設置しました。

火床数 79ヶ所

全体の大きさ図 縦133m 横206m 火床の数 最長の線で22ヶ所
全体の大きさと各々の火床数
点火資材

松割木を使用し、井桁に積み重ねています。
松割木:500束、松葉:130束

西方寺六斎念仏

国指定重要無形民俗文化財「京都の六斎念仏」

西方寺六斎念仏は、西方寺の檀家区域内に伝わる六斎念仏で、8月16日の夜、送り火の点火に引き続いて、西方寺の境内で行われます。他の地域に伝わる六斎念仏のような芸能に題材を求めた曲(芸能六斎)はなく、念仏六斎のみを伝えています。

送り火の点火を終えると、西方寺六斎念佛保存会の会員の内、役員でない中老は、火の後始末は消防団に任せ、すぐに下山します。下山した保存会員は家で衣装を整え、西方寺に集合します。近年では、送り火の点火と六斎念仏とに分かれて従事することもあります。西方寺では、太鼓の役のものは左手に太鼓、右手にバチを持ち、本堂を背にする表(おもて)と呼ばれる3名を中心に馬蹄形に向きあって並びます。年寄が受け持つ「導師」を中心とした鉦の役は馬蹄形の開いた口のところで、本堂に向って一列に並びます。鉦の役は、着物に紫の輪袈裟を掛け、鉦を首に下げます。

楽器は太鼓と鉦だけで構成され、はじめの「導師」で鉦の役が念仏を唱えた後、念仏を伴わない「うらおこし」・「一のかけ」・「中のかけ(東のおもて)」・「中のかけ(西のおもて)」と続きます。そして、終りの「しんぱち」で再び鉦の役による念仏があります。この一連を「一山(いっさん)」と呼んでいます。かつては年に何度も踊られたそうですが、現在では年に一度、送り火当日にのみ奉納されています。

西方寺六斎念仏は、昭和58年1月11日、市内のほかの14の六斎念仏とともに、「京都の六斎念仏」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

Q&A

よくある質問をQ&A形式でまとめました。

Q:送り火当日は船山に登れますか。

A:通年入山は禁止です。

Q:ボランティアの受け入れはしていますか。

A:ボランティアの受け入れはしていません。

Q:護摩木志納の受付場所と時間を教えてください。

A:護摩木志納の受付については、トップページの「NEWS」に掲載いたしますので、ご確認ください。

Q:六斎念仏はだれでも見られるのですか。

A:基本的に一般公開しています(感染症対策などで無観客開催する場合があります)。

 

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